レッドリボンさっぽろのブログ

HIV陽性者・AIDS患者との共生と差別・偏見のない社会の実現を目指し、北海道で活動をするNPO法人レッドリボンさっぽろの公式ブログです

今年の5月12日、クリスの命日は日曜日。 ~藻岩山に登って思う徒然話~

※クリスは札幌でエイズと闘い、1996年に亡くなりました。
『クリス・アザー・ストーリー』は、病を抱えながらも懸命に
生きようとしたクリスと彼を支えたレッドリボンさっぽろや
友人たちの物語です。

 


クリスが亡くなった5月12日、毎年クリスの散骨をした藻岩山に登っている。
レッドリボンのくるみちゃんと秋山さん、そして連れ合いの中山と私。この4人が今年の藻岩山登山?(ケーブルカーとロープウェイすべて使って!)のメンバー。
私と中山は、以前使っていた観光道路入口(これを覚えているのは古いメンバー)近くのもいわ三荘(なつかしい)で食事してから、レッドリボンのお二人と合流。


少人数だったので、徒然話に花が咲く。
昔の事を思い出すのは老人の脳にはいいらしい。還暦になった私も、若い人が話を聞いてくれるのがうれしくて、ついつい色々話してしまう。


1996年はクリスが亡くなった年だが、札幌で初めてのレズ・ビ・ゲイ・プライドマーチが開催された年でもある。印象深い年なので、今でもこの年より前か後かで時間の経過をイメージする事が多い。あれから28年もたったなんて。


28年間ずっと、毎年クリスの命日に藻岩山に登ったのかというと、そうでもない。理由は忘れたが、行かなかった年もあった。日にちをずらして行ったことも多い。天気のいい日もあったけど、冷たい雨の日、強風の日、雪が残ることは最近は少ない。一人で行ったり、家族だけの日もあるし、大勢でわいわい上って帰りに皆で食事をし、おしゃべりしてから帰る事も多かった。クリスの上司のGさんに会えた年もあったし、クリスの本を出してくれたかりん舎のお二人とご一緒できた日もあった。もしかしたら藻岩山に登っても登らなくても、別の場所でも。私たちクリスを知る人間は5月、クリスを思い出し、会いに行ったのだ。

 

あれから28年。クリスの事を思い出さない日はない・・・わけはない。むしろ思い出す日は減ってきている。ごめんね、クリス。でも、何かの瞬間、ふと思い出す。

 

私は薬の仕事をしていて、患者の自宅まで届ける事も多い。ある日、ある高齢女性宅に向かうと、彼女は退院したばかりで、しかも体が不自由なのにも関わらず、朝からフルスロットルで洗濯機をまわしている。「朝から大忙しなの」という顔は、生きる喜びでキラキラしている。この感じ、どこかで。思い出した。クリスも、退院した日に掃除や洗濯に追われながら、楽しそうなその声が弾んでいたのを思い出す。とても生き生きした声だった。

 


先日、旭川でのレインボーパレードに誘ってもらい、参加した。札幌と比べて人数は多くなかったし、音楽も山車もシュプレヒコールもない、でもなごやかでアットホームなパレードだった。草の根から始まる希望を感じた。クリスも札幌のパレードに参加したがっていた。
 クリスはゲイだ。入院中、医師や看護師がゲイを嫌ってると感じて、もういやだ、早く退院したいと言っていたのを思い出す。その頃に比べたら、今はLGBTQなどどいう言葉を知ってる人も多く、表面上は理解が進んだように見える。でもほんとのところ、どうだろうか。私たちの心の中は変わったんだろうか。

 

久しぶりに『クリス・アザー・ストーリー』を開いた。皆、若い。それゆえ、スマホもインターネットもない中で、手あたり次第電話をかけまくり、行動するパワーがあった。そしていつもクリスの気持ちに寄り添い、共に歩んだ。それだけは自信もって言える。

 

でもクリス、やっぱりりっぱだったなあ。想像してみてほしい。たかだか30代のクリスが、異国で病気になり、自暴自棄になることもなく、最後まで自分らしさを失わず、同じ病気を持つ人に語りかけ、そして自分の死後の事まで考えていた事を。決して誰にでも出来る事ではない。

 

「クリスはエイズにかかっていた自分をありのままに受け入れ、愛してほしかった・・・同情ではなく、理解と尊敬をもって思い出してほしい」「クリスが多くの人の心の中に生き続ける事を希望します」

(『クリス・アザー・ストーリー』から)

自分の書いた文章に頷くのも変な気分だが、改めてクリスを尊敬し、折々に思い出しながらこれからも生きていきたいと思う。

 

改めて『クリス・アザー・ストーリー』は、いい本だと思う。クリスの遺書、クリスの言葉、クリスの文章、クリスが冷蔵庫に貼った言葉、クリスの生き方など、ずっと残していく価値がある。多くの人に読んでもらいたい。

でも、出版した当時、私の知る範囲、知らないところでも、クリスの死は様々な波紋を呼び、またこの本によって傷つけてしまった人もいたと思う。今更ながら申し訳なく思う。
ただ、病名の公表に否定的だった人に対しては今でも答えはNoだ。クリスがエイズだったことを非公表にするのは、彼を最も傷つける行為だと思う。

差別を無かったことにしたいと願う人々は、しばしばその事実をすべて覆い隠し、当事者に沈黙を強いる。クリスが望んだのは、作られた美しさで語られる事ではなく、ありのままのクリスの人生を受け入れ、またこの病に苦しむ人々の存在に目を向け、支えていく社会を作っていく事。それは同時に、クリスがずっと主張していた、異文化に対しての思い込みを捨て、ありのままの個性を受け入れる社会に変わっていく事にもつながると思う。

 

また、レッドリボンさっぽろの中でも、思いは一様ではなかった。
クリスが亡くなってから1年半後、一緒にサポートした原田さんから手紙をもらった。私信なので内容は秘密だが、今でも涙してしまうようなうれしい手紙である。こんなに大切な事がたくさんかいてあったのに、この手紙をもらった当時は、なぜかその気持ちに向き合う事ができなかった。これを書き終わったら、今度は原田さんに手紙を書こうと思う。26年前の手紙のお返事を。それはなんかすごく幸せな作業になりそうな予感がする。

 

あれから28年もたち、私たちもずいぶん年をとった。クリスのサポートチームの一人、石田さんには今でも時々会いに行き、相変わらずのエネルギーに圧倒されている。原田さんとは、しばらく会ってないが、よくラインで連絡しあっている。私たちはいつの間にか読書仲間になり、面白い本があったら紹介したり、貸し借りしたり、感想を言いあったりするようになった。

 

 

『クリス・アザー・ストーリー』はまだ続いている。


この文章を書くチャンスをくれたくるみちゃんに感謝を。
2024.7.7未明
冨田 美奈子

 

2024.05.12 藻岩山山頂にて